日露戦争 💥
**日露戦争(にちろせんそう)**は、1904年2月から1905年9月にかけて、日本とロシア帝国の間で戦われた戦争です。朝鮮半島と満州(中国東北部)の支配権をめぐる対立が主な原因でした。
📌 戦争の背景
19世紀末、日本とロシアはアジア大陸への進出を強めていました。特に、朝鮮半島と満州の権益をめぐって両国の対立が深まります。ロシアは満州を占領し、さらに不凍港を求めて朝鮮半島へ南下しようとしていました。これに対し、日本は朝鮮半島の独立を守り、満州での権益を確保するため、ロシアとの交渉を重ねますが決裂し、戦争へと突入しました。
📌 戦局の推移
開戦〜旅順要塞の攻略
1904年2月、日本海軍が旅順(りょじゅん)のロシア艦隊を奇襲攻撃したことで戦争が始まりました。その後、日本軍は陸路で満州へ進攻し、難攻不落といわれた旅順要塞の攻略に取り組みます。多くの犠牲を払いながらも、日本軍は要塞を陥落させ、陸軍の勝利を決定づけました。
奉天会戦と日本海海戦
1905年3月には、中国の奉天(ほうてん)で大規模な陸戦が行われ、日本軍が勝利しました。そして、同年5月にはロシアのバルチック艦隊を迎え撃つ日本海海戦が勃発。東郷平八郎(とうごうへいはちろう)が率いる連合艦隊が、バルチック艦隊をほぼ全滅させるという歴史的な大勝利を収めました。 この海戦の勝利が、日本の優位を決定的なものにしました。
📌 戦争の終結:ポーツマス条約
相次ぐ勝利を収めた日本でしたが、長期戦による戦費の増大と兵力不足に苦しんでいました。そこで、アメリカ合衆国のセオドア・ルーズベルト大統領の仲介で、ロシアとの講和交渉が開始されました。
1905年9月5日、アメリカのポーツマスでポーツマス条約が締結され、戦争は終結しました。
主な内容:
- ロシアが旅順・大連の租借権を日本に譲渡。
- ロシアが南満州鉄道の利権を日本に譲渡。
- 北緯50度以南の樺太を日本に譲渡。
しかし、日本が得た賠償金はゼロでした。これにより、国民はポーツマス条約に不満を抱き、日比谷焼打ち事件(ひびややきうちじけん)などの暴動が発生しました。
📝 よくある質問
Q. 日露戦争はなぜ「旅順要塞」の攻略にこだわったのですか?
A. 旅順はロシアの太平洋艦隊の拠点であり、そこを攻略しなければ日本軍の満州への進出が危険にさらされるため、なんとしてでも陥落させる必要がありました。

コメント