[人物] 松平定信(まつだいら さだのぶ)

松平定信:緊縮財政で幕政を立て直した改革者

松平定信(まつだいら さだのぶ)は、江戸時代後期に老中となり、幕府の財政再建と風紀粛正を目指した人物です。彼の主導した改革は、その厳格さから「寛政の改革」として知られています。


寛政の改革の背景と開始

定信が老中となったのは、田沼意次の失脚後でした。当時の日本は、天明の大飢饉や浅間山の噴火による被害で、社会不安が増大していました。人々は、田沼時代の商業を重視した政策によって、賄賂や奢侈(しゃし)が横行し、世の中が乱れたと感じていました。そこで、定信は儒教の教えに基づき、質素倹約を奨励し、世直しを図ることを決意します。


寛政の改革の主な政策

定信の改革は、主に「緊縮財政」と「風紀の引き締め」という2つの柱から成り立っていました。

  1. 財政再建策
    • 囲米の制(かこいまい): 飢饉に備え、各藩に米を備蓄させました。これは、田沼時代の飢饉対策の失敗を教訓としたものです。
    • 札差(ふださし)への御救い金: 旗本や御家人の生活を支えるため、彼らに貸し付けていた高利の借金を一部帳消しにしました。これを**棄捐令(きえんれい)**といいます。
    • 七分積金(しちぶつみきん): 江戸の町民から徴収した税金の一部を積み立てさせ、飢饉や災害時の備蓄金としました。
  2. 風紀粛正策
    • 出版物の取り締まり: 世の中を乱すような風俗や政治を風刺する出版物を取り締まりました。洒落本(しゃれぼん)や黄表紙(きびょうし)などの作者や版元が処罰されました。
    • 学問の統制: 儒学の中でも、幕府公認の朱子学以外の学問を異端とみなし、幕府の役人登用試験から除外しました。これを**寛政異学の禁(かんせいいがくのきん)**といいます。
    • 大坂の三郷(さんごう): 大坂の有力商人たちが運営していた町政に幕府が介入し、直轄支配を強めました。

改革の挫折と評価

定信の改革は、緊縮財政によって一時的に幕府の財政を立て直すことに成功しました。しかし、その厳格すぎる政策は人々の自由な活動を抑圧し、文化や学問の発展を妨げました。質素を強制する政策は不満を呼び、特に出版物の取り締まりや学問の統制は、多くの反発を招きました。

定信は将軍家治の子、家斉との対立もあり、1793年に老中を辞任し、改革は挫折しました。彼の改革は、財政再建という目的を達成した一方で、人々の生活や文化を抑圧したことから、その評価は分かれています。

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