犬養毅:政党政治の最後の首相
犬養毅(いぬかい つよし)は、明治から昭和初期にかけて活躍した政治家で、日本の政党政治の最後の首相として知られています。彼は、五・一五事件で暗殺され、その死は日本の歴史を大きく変えるきっかけとなりました。
「憲政の神様」と称された政治家
犬養は、岡山県に生まれ、若い頃から政治の世界で活躍しました。政党政治の確立に尽力し、立憲政友会(りっけんせいゆうかい)の総裁を務めました。卓越した演説能力を持ち、議会政治を重んじたことから、「憲政の神様」とも称されました。
彼は、普通選挙の実現や、軍部が政治に介入することに反対するなど、民主主義を重んじる立場を貫きました。
首相としての短い治世
1931年、犬養は内閣総理大臣に就任しました。当時の日本は、世界恐慌による経済不況が深刻化し、満州事変(1931年)以降、軍部の政治的発言力が増大していました。
犬養首相は、軍部の暴走を抑え、国際協調路線を維持しようと努めました。また、経済政策では、金輸出を再禁止して日本経済の回復を図ろうとしました。
五・一五事件と最期
犬養の努力もむなしく、軍部や右翼勢力との対立は深まっていきました。そして1932年5月15日、若手海軍将校らによるクーデター未遂事件、五・一五事件が発生します。
首相官邸を襲撃された犬養は、彼らに向かって「話せばわかる」と説得を試みましたが、聞き入れられず、その場で射殺されました。享年76歳でした。
まとめ
犬養毅の死は、日本の歴史において大きな転換点となりました。彼の死後、政党による内閣は途絶え、軍部が主導する政治が本格的に始まりました。彼は、最後まで民主主義と議会政治を守ろうとした政治家として、日本の近代史にその名を刻んでいます。

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