徳川吉宗:江戸幕府を立て直した改革者
徳川吉宗(とくがわ よしむね)は、江戸幕府の第8代将軍であり、その在任中に実施した大規模な改革「享保の改革(きょうほうのかいかく)」で知られています。紀州藩主から将軍となり、財政難に苦しむ幕府の立て直しに尽力しました。「米将軍」や「暴れん坊将軍」の愛称でも親しまれています。
将軍になるまで:紀州藩主から将軍へ
吉宗は、紀州藩(現在の和歌山県)第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれました。当初は将軍の座に就くことは考えておらず、1705年に兄の死去に伴い、紀州藩の第5代藩主となります。
しかし、第7代将軍・家継が幼くして亡くなったため、尾張家や水戸家を差し置いて、紀州家の吉宗が将軍に迎えられることになりました。これは、新井白石(あらい はくせき)らの推挙があったためとされています。
享保の改革:幕府の財政再建
吉宗が将軍に就任した当時、幕府は度重なる出費で深刻な財政難に陥っていました。そこで吉宗は、徹底した緊縮財政と新しい政策を組み合わせた改革に着手しました。
主な改革の内容:
- 質素倹約の奨励: 大名や旗本に贅沢を禁じ、無駄な出費を減らすよう命じました。自らも木綿の服を着るなど、率先して質素な生活を送りました。
- 上米の制(あげまいのせい): 大名に石高に応じて一定の米を幕府に献上させる代わりに、参勤交代の江戸滞在期間を短縮しました。これは、大名側の負担軽減と幕府の財源確保を同時に図るものでした。
- 足高の制(たしだかのせい): 役職に応じた俸禄(ほうろく)を支給する制度を設け、身分にとらわれず有能な人材を登用できるようにしました。
- 公事方御定書(くじかたおさだめがき)の制定: 裁判の基準となる法律を整備し、庶民も理解できるようにしました。これにより、司法制度が明確化されました。
- 目安箱の設置: 将軍への直訴を可能にするため、庶民が投書できる目安箱を設置しました。これは、広く民意を聴くための画期的な試みでした。
吉宗の評価:なぜ名君と称されるのか
吉宗の改革は、幕府の財政再建に大きな効果をもたらし、その後の日本の安定に貢献しました。
- 財政再建: 徹底した倹約と増税策によって、幕府の財政は一時的に健全化されました。
- 人材登用: 門閥にとらわれず、実力のある人材を積極的に登用したことで、幕府の行政能力が向上しました。
- 新田開発の奨励: 幕府の財政基盤を強化するため、積極的に新田開発を奨励しました。
一方で、年貢率を引き上げたことや、一部の政策が庶民の生活を苦しめたという批判的な見方もあります。しかし、全体として、吉宗は危機に瀕していた江戸幕府を立て直し、中興の祖として後世に大きな影響を与えた名君として、高く評価されています。彼の政治手腕は、後の将軍たちにも手本とされました。

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