[人物] 足利尊氏(あしかが たかうじ)

足利尊氏 ⚔️

**足利尊氏(あしかがたかうじ)**は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将です。室町幕府の初代将軍として知られ、日本の歴史を大きく動かした人物です。


📌 生涯:鎌倉幕府から室町幕府へ

倒幕への貢献

尊氏は、鎌倉幕府の有力御家人として育ちました。後醍醐天皇の倒幕計画が明らかになると、幕府から天皇を討伐するよう命じられます。しかし、尊氏は天皇側につき、京都の六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め落とし、鎌倉幕府滅亡に決定的な役割を果たしました。この功績により、尊氏は後醍醐天皇から厚い信頼を得ることになります。

建武の新政からの離反

鎌倉幕府が滅んだ後、後醍醐天皇は天皇中心の政治である建武の新政を始めました。しかし、天皇が公家を重用し、武士への恩賞が不十分だったため、多くの武士の不満が高まりました。尊氏もこの不満を抱き、天皇から離反します。

南北朝時代の幕開け

尊氏は、不満を持つ武士たちをまとめ上げ、後醍醐天皇と対立するようになります。京都を制圧し、1336年には光明天皇を擁立して、新たな武家政権を樹立しました。一方、吉野に逃れた後醍醐天皇も自らが正当な天皇であることを主張したため、南朝北朝という二つの朝廷が並び立つ南北朝時代が始まりました。


📌 室町幕府の創設

尊氏は、1338年に征夷大将軍に任じられ、京都に室町幕府を開きました。鎌倉幕府の仕組みを参考にしつつ、将軍の権力を強め、守護大名(しゅごだいみょう)と呼ばれる地方の有力武士を統制することで、武家政権の安定を図りました。

尊氏の政治の特徴

  • 武士中心の政治: 尊氏は、武士の不満に応える形で、武士が政治の中心となる体制を築きました。
  • 二つの朝廷: 南北朝の対立は尊氏の死後も続き、約60年間にわたって日本を二分しました。

📝 よくある質問

Q. 足利尊氏はなぜ「裏切り者」と呼ばれることがあるのですか?

A. 鎌倉幕府を滅ぼすために後醍醐天皇側についた後、今度はその天皇に反旗を翻して室町幕府を開いたことから、人によっては「裏切り者」と見なされることがあります。

Q. 室町幕府はなぜ「足利」幕府ではないのですか?

A. 室町幕府は足利尊氏が創設した幕府ですが、本拠地が京都の室町にあったため、「室町幕府」と呼ばれます。

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