足利義昭:信長に利用され、追放された室町幕府最後の将軍
足利義昭(あしかが よしあき)は、室町幕府の第15代将軍であり、室町幕府最後の将軍として知られています。兄・義輝の死後、各地を放浪しながら将軍の座を目指し、最終的には織田信長の力を借りて上洛を果たします。しかし、信長との関係が悪化し、京を追放されるという波乱の生涯を送りました。
将軍になるまでの道のり:兄の死と放浪の旅
義昭は、室町幕府第13代将軍・足利義輝の弟として生まれました。幼少期に仏門に入り、覚慶(かくけい)と名乗っていました。
しかし、1565年に兄の義輝が松永久秀(まつなが ひさひで)らに暗殺されるという事件(永禄の変)が起こります。義昭は幽閉されていましたが、細川藤孝(ほそかわ ふじたか)らの助けで脱出に成功しました。
将軍の座を狙う義昭は、各地の有力大名に支援を求めます。朝倉義景(あさくら よしかげ)を頼って越前(現在の福井県)に身を寄せましたが、上洛の約束をなかなか果たしてもらえませんでした。
織田信長との出会い:将軍の座と関係の悪化
越前での滞在に見切りをつけた義昭は、当時、勢力を拡大していた織田信長を頼ります。信長は義昭を丁重に迎え入れ、1568年に義昭を奉じて京に上りました。これにより、義昭は第15代将軍に就任します。
当初、信長と義昭は協力関係にありました。しかし、将軍の権威を利用して天下統一を推し進める信長と、将軍の権力を取り戻したい義昭は、次第に対立を深めていきました。
義昭は信長を危険視し、武田信玄(たけだ しんげん)や朝倉義景、浅井長政(あざい ながまさ)といった反信長勢力に密かに働きかけ、信長包囲網を形成します。
将軍追放とその後:幕府の滅亡
信長包囲網は、武田信玄の病死などにより瓦解し、信長は義昭の裏切りに激怒します。1573年、信長は京都の二条御所を攻撃し、義昭を京から追放しました。
これにより、実質的に室町幕府は滅亡しました。義昭はその後も、毛利輝元(もうり てるもと)を頼って備後(現在の広島県)に身を寄せましたが、将軍として復権することはできませんでした。
豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の時代になると、将軍の地位を返上し、晩年は聚楽第(じゅらくだい)で客人として迎えられました。
評価:悲運の将軍か、無能な将軍か
足利義昭は、**「将軍の権威回復を目指した悲劇の将軍」と見るか、あるいは「政治的な手腕に乏しく、信長に利用された将軍」**と見るか、歴史家の間でも評価が分かれています。
しかし、彼の将軍追放をきっかけに、室町幕府は名実ともに終わりを迎え、信長、秀吉、家康による天下統一の時代が本格的に始まることになりました。義昭の生涯は、戦国時代の大きな流れを象徴するものであったと言えるでしょう。

コメント