[人物] 足利義満(あしかが よしみつ)

足利義満

足利義満は、1358年から1408年まで生きた室町時代の武将であり、室町幕府の第3代将軍です。約60年間にわたる南北朝の動乱を終結させ、室町幕府の最盛期を築き上げました。文化人としても知られ、彼が推し進めた文化は北山文化と呼ばれています。


南北朝の合一

義満の最大の功績は、分裂していた朝廷を一つにまとめたことです。

  • 南北朝の対立足利尊氏が京都に開いた北朝と、後醍醐天皇が吉野に開いた南朝は、約60年にわたって激しく対立していました。この対立は、室町幕府の権威を揺るがし、全国的な争乱の原因となっていました。
  • 巧みな政治手腕義満は、武力だけでなく、外交や策略を駆使して南朝に働きかけました。南朝の勢力が弱まったこともあり、1392年、南朝の後亀山天皇は、北朝の後小松天皇に三種の神器を譲渡し、ついに南北朝は合一しました。これにより、日本の政治的な混乱は収まり、義満の権力は揺るぎないものとなりました。

将軍権力の確立と対外関係

義満は、将軍の権力を強化するため、有力な守護大名を抑え込みました。

  • 守護大名の統制有力な守護大名であった山名氏や大内氏を討伐し、将軍に反抗する勢力を排除しました。これにより、全国の守護大名に対する将軍の支配力が強まりました。
  • 勘合貿易義満は、中国の明と**勘合貿易(かんごうぼうえき)**を始めました。これは、貿易船に「勘合」と呼ばれる証明書を持たせることで、倭寇(わこう)と呼ばれる海賊と区別するものでした。この貿易によって、幕府は多大な利益を得て、財政的な基盤を確立しました。

北山文化と義満の文化活動

義満は、政治だけでなく文化にも深い関心を示しました。彼が築いた文化は、北山文化と呼ばれています。

  • 金閣寺(鹿苑寺)京都の北山に建てられた義満の別荘で、現在も有名な観光地です。公家文化と武家文化、そして禅宗の精神が融合した、豪華で優雅な建築様式を象徴しています。
  • 能楽と禅宗義満は、**能楽(のうがく)**を保護し、観阿弥・世阿弥親子を庇護しました。能楽は、武士や貴族の間で広まり、室町文化を代表する芸能となりました。また、禅宗を深く信仰し、五山十刹(ござんじっさつ)という禅宗の寺院の格付けを定めるなど、仏教界にも大きな影響力を持しました。

足利義満の死と室町幕府の衰退

義満の死後、将軍の権威は次第に弱まっていきました。有力な守護大名が再び力をつけ、将軍の命令に従わない守護も現れるようになります。これが、室町幕府の衰退と応仁の乱、そして戦国時代へと繋がっていくことになります。

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