[出来事] 壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)

壇ノ浦の戦い

壇ノ浦の戦いは、元暦2年/寿永4年(1185年)3月24日に、長門国赤間関(現在の山口県下関市)の壇ノ浦で行われた、源氏と平家による最終決戦です。この戦いの結果、平家は滅亡し、源氏による武家政権が確立しました。


戦いの背景

治承4年(1180年)に始まった源平の争乱は、源氏が各地で平家を打ち破り、優位に立っていました。特に、源義経が率いる源氏軍は、一ノ谷の戦いや屋島の戦いで平家を破り、平家を西へと追いつめていきました。平家は、安徳天皇と三種の神器を奉じて、最後の拠点である壇ノ浦に布陣し、源氏との決戦に臨みました。


戦いの経過

壇ノ浦の戦いは、潮の流れを味方につけた平家が序盤は優勢でした。平家軍は水軍の扱いに長けており、激しい矢合わせで源氏軍を苦しめました。しかし、戦いが進むにつれて潮の流れが変わり、源氏軍が有利となります。

この潮の流れの変化に加え、源氏軍は平家方の武将である田口成良を寝返らせることに成功しました。田口成良は、平家軍の弱点を源氏に伝え、さらに平家軍の船頭や水手(漕ぎ手)を狙うよう進言しました。これにより、平家軍は機動力を奪われ、総崩れとなりました。


戦いの結果とその後

源氏軍は平家軍を圧倒し、多くの平家一門が海に身を投じました。平家の大将である平宗盛は捕らえられましたが、安徳天皇と、二位尼である平時子は、三種の神器のうち神璽と宝剣を抱いて入水しました。これにより、平家は一族もろとも滅亡しました。

壇ノ浦の戦いの勝利は、源氏の天下を決定づけるものとなりました。源頼朝は、この勝利を背景に、日本初の武家政権である鎌倉幕府を成立させ、武士の世を築き上げました。

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