大化の改新
大化の改新は、645年に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり、後の藤原鎌足)が蘇我氏を打倒したクーデターと、それに続く一連の政治改革のことです。天皇を中心とした中央集権国家の建設を目指した、日本史における重要な出来事の一つです。
乙巳の変と改革の始まり
飛鳥時代、蘇我氏は絶大な権力を持ち、天皇の権威をしのぐほどでした。特に、蘇我入鹿(そがのいるか)は、父の蘇我蝦夷(そがのえみし)とともに、専横な政治を行っていました。これに対し、皇族の中大兄皇子と中臣鎌足は、蘇我氏を倒すことを計画しました。
- 乙巳の変645年、中大兄皇子と中臣鎌足は、宮中で蘇我入鹿を暗殺しました。この事件を**乙巳の変(いっしのへん)**といいます。このクーデターにより、蘇我氏の専横政治は終わりを告げ、改革の機運が高まりました。
- 新政権の発足乙巳の変の後、中大兄皇子は孝徳天皇を擁立し、自らは皇太子として、中臣鎌足とともに政治の実権を握りました。そして、**「大化」**という日本で初めての元号を定め、本格的な改革に着手しました。
大化の改新の主な内容
大化の改新は、中国の律令制度にならって、国の仕組みを根本から変えようとするものでした。
- 公地公民すべての土地(田)と人民(民)を国家(朝廷)のものとしました。それまでの豪族が私有していた土地と人民を朝廷が直接支配することで、天皇を中心とする中央集権国家の基盤が築かれました。
- 班田収授の法(はんでんしゅうじゅのほう)戸籍を作成し、6歳以上の男女に**口分田(くぶんでん)**という田を分け与え、その耕作を義務付けました。そして、田が死後には国に返されるという制度です。
- 租庸調(そようちょう)口分田を与えられた人々は、その代わりに様々な税を納めることが義務付けられました。
- 租(そ):収穫した稲の一部を納める。
- 庸(よう):労役(労働)の代わりに布などを納める。
- 調(ちょう):絹や海産物といった特産物を納める。
- 地方行政の整備都から地方へ役人を派遣し、国・郡・里という行政区画を設け、地方の統治を強化しました。これにより、豪族が支配していた地方にも、中央の統治が及ぶようになりました。
大化の改新の意義
大化の改新は、日本の国家形成において非常に重要な出来事でした。
- 天皇中心の中央集権国家の確立大化の改新によって、それまでの豪族連合体制から、天皇を頂点とする中央集権国家へと移行しました。
- 律令国家への移行大化の改新は、その後の律令国家(律令に基づいて統治される国家)の基礎を築きました。これにより、奈良時代に完成する律令制度への道が開かれました。

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