安土桃山時代
安土桃山時代は、織田信長が天下統一を推し進めた1573年から、徳川家康が江戸幕府を開く1603年までの約30年間を指します。信長と豊臣秀吉の二人の天下人によって、それまでの戦乱の世から、統一された新しい時代へと移り変わりました。
天下統一へ
この時代は、織田信長が築いた安土城と、豊臣秀吉が築いた桃山文化の中心地となった伏見城(桃山城)から名付けられました。
- 織田信長の活躍信長は、鉄砲の集団戦法を駆使して戦に勝ち、天下統一を進めました。彼は、居城の安土城に豪華な天主(てんしゅ)を築き、支配者としての権威を誇示しました。また、楽市・楽座(らくいち・らくざ)などの経済政策で商工業を保護し、商業の発展を促しました。しかし、家臣の明智光秀に裏切られ、1582年の本能寺の変で命を落としました。
- 豊臣秀吉の天下統一信長の跡を継いだ秀吉は、全国の有力大名を次々と従え、天下統一を成し遂げました。彼は、武士から農民を区別し、武士以外から武器を取り上げる**刀狩(かたながり)や、全国の土地を測量する太閤検地(たいこうけんち)**を行い、支配体制を強化しました。
豪華絢爛な桃山文化
この時代には、戦国大名や商人たちが、豪華で力強い文化を生み出しました。
- 城郭建築権威を象徴するため、安土城や秀吉が築いた大阪城、そして姫路城などに代表される、壮麗で巨大な城が各地に築かれました。天守や石垣、堀など、それまでの城にはない新しい要素が加わりました。
- 障壁画城の内部を飾る絵画も、豪華なものが好まれました。狩野永徳(かのうえいとく)らが描いた、金箔を使ったダイナミックな絵画は、この時代を象徴しています。
- 茶の湯千利休(せんのりきゅう)によって「わび・さび」を重んじる精神が確立された茶の湯は、武士や商人の間で広く普及しました。政治や情報交換の場としても重要な役割を果たしました。
南蛮文化の伝来
この時代には、ポルトガル人やスペイン人が日本にやってきました。彼らは「南蛮人」と呼ばれ、ヨーロッパの文化や技術を日本に伝えました。
- 鉄砲とキリスト教1543年に種子島に伝来した鉄砲は、その後の戦のあり方を大きく変えました。また、フランシスコ・ザビエルによってキリスト教が伝えられ、多くの人が信仰しました。
- 貿易の活発化ヨーロッパとの貿易が盛んになり、火薬や生糸、絹などが輸入され、日本の銀や金が輸出されました。これにより、日本経済はさらに活発になりました。
安土桃山時代の終焉
秀吉の死後、天下の覇権は五大老の一人であった徳川家康へと移りました。1600年の関ヶ原の戦いで勝利した家康は、その後の天下統一を決定づけ、1603年に江戸幕府を開きました。これにより、江戸時代が始まり、安土桃山時代は終わりを告げました。