古墳時代
古墳時代は、3世紀中頃から592年(崇峻天皇5年)までの時代です。巨大な前方後円墳が築かれたことから、この名前で呼ばれています。この時代、日本列島に統一政権が誕生し、大陸との交流が活発になりました。
古墳の変遷とヤマト王権
古墳時代は、古墳の形や規模、副葬品から、当時の権力の移り変わりを読み解くことができます。
- 古墳の始まり古墳は、有力な豪族の墓として始まりました。初期の古墳は小規模な円墳や方墳が中心でしたが、次第に大型化し、独特の形である前方後円墳が各地に築かれるようになります。
- ヤマト王権の成立奈良盆地を中心とした勢力(後のヤマト王権)が、各地の豪族を従え、日本列島の大部分を支配するようになりました。この支配関係を示すように、巨大な前方後円墳が集中して造られるようになります。特に、大阪の仁徳天皇陵古墳は、世界最大級の古墳として知られています。
- 古墳の終焉7世紀に入ると、仏教の広まりや、大化の改新による律令制度の導入で、古墳を造る習慣は次第に廃れていきました。
古墳時代の文化と生活
古墳からは、当時の人々の生活や文化を伝える貴重な遺物が多数見つかっています。
- 埴輪(はにわ)古墳の周りに並べられた土製の焼き物です。人や動物、家などをかたどったものがあり、当時の服装や生活の様子を知る手がかりとなります。
- 副葬品古墳の中からは、鏡や**勾玉(まがたま)**といった祭祀に使われたものや、刀剣、甲冑などの武器・武具が多数発見されています。これらの副葬品は、支配者の権力を象徴するものでした。
大陸との交流
古墳時代には、朝鮮半島や中国大陸との交流が活発に行われました。
- 渡来人朝鮮半島から多くの人々が日本に渡ってきました。彼らは、養蚕や機織り、須恵器(すえき)と呼ばれる焼き物、さらには漢字や儒教、仏教などの進んだ技術や文化を日本に伝え、日本の国家形成に大きな影響を与えました。
- 鉄器文化大陸から伝わった鉄器の技術は、農具や武器に用いられ、生産力の向上と軍事力の強化につながりました。