戦国時代

戦国時代

戦国時代は、応仁の乱(1467年)から織田信長が京都から室町幕府の最後の将軍を追放した1573年、または豊臣秀吉が全国統一を達成した1590年までの時代です。守護大名や国人たちが実力で領地を奪い合い、全国が下克上の風潮に包まれました。


下克上と戦国大名の登場

応仁の乱によって室町幕府の権威が失墜すると、各地で家臣が主君を倒す「下克上」が頻発しました。地方の守護や有力な国人たちは、自らの力で領地を支配し、戦国大名へと成長していきました。

  • 分国法戦国大名たちは、自らの領地を安定させるため、独自の法律である**分国法(ぶんこくほう)**を制定しました。これは、領国内の武士や農民を統制するためのもので、戦国大名の権力が確立されたことを示しています。
  • 城下町の形成戦国大名たちは、居城の周囲に家臣や商人を集めて城下町を造りました。これにより、政治や経済の中心が城下町に集中し、商業が発展しました。

三英傑による天下統一

戦国時代の終盤には、尾張の織田信長、三河の豊臣秀吉、そして徳川家康という三人の英雄が登場し、天下統一を推し進めました。

  • 織田信長の活躍信長は、鉄砲の集団戦法を駆使して戦に勝ち、**楽市・楽座(らくいち・らくざ)**などの政策で商業を保護し、経済力を高めました。しかし、家臣の明智光秀に裏切られ、本能寺の変で命を落としました。
  • 豊臣秀吉の天下統一信長の跡を継いだ秀吉は、全国各地の有力大名を次々と従え、天下統一を成し遂げました。彼は、武士から農民を区別し、武士以外から武器を取り上げる**刀狩(かたながり)や、全国の土地を測量する太閤検地(たいこうけんち)**を行い、支配体制を強化しました。
  • 徳川家康と江戸時代へ秀吉の死後、天下の覇権は五大老の一人であった徳川家康へと移りました。1600年の関ヶ原の戦いで勝利した家康は、その後の天下統一を決定づけ、江戸幕府を開きました。

戦国時代の文化と社会

戦国時代は、武士の支配が強まる一方で、庶民の力が増し、新しい文化が生まれました。

  • 茶の湯と南蛮文化茶の湯が武士や商人の間で広まり、千利休(せんのりきゅう)によって「わび・さび」を重んじる精神が確立されました。また、ポルトガル人やスペイン人が日本にやってくるようになり、鉄砲やキリスト教、そして南蛮文化が伝えられました。
  • 経済の発展城下町の発展や、商工業者の同業者組合である座の解体により、商業活動がより活発になりました。また、中国の明や朝鮮、東南アジアとの貿易も盛んに行われました。
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