飛鳥時代
飛鳥時代は、6世紀末から8世紀初めにかけての時代です。日本の国家体制や文化が大きく発展し、後の時代に続く礎が築かれました。政治の中心が現在の奈良県飛鳥地方にあったことから、この名前がつけられました。
飛鳥時代の始まり
飛鳥時代の始まりは、崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺された後、推古天皇が即位した6世紀末ごろとされています。この時期、天皇中心の政治を確立しようとする動きが強まり、大陸からの影響を積極的に取り入れました。
聖徳太子と政治の改革
飛鳥時代を語る上で欠かせないのが、推古天皇の摂政を務めた**聖徳太子(厩戸皇子)**です。聖徳太子は、中国の進んだ文化や制度を学ぶため、遣隋使(けんずいし)を派遣しました。
- 冠位十二階個人の能力や功績に応じて役人の位を決める制度です。それまでの豪族の身分にとらわれず、有能な人材を登用することが可能になりました。
- 憲法十七条仏教や儒教の思想を取り入れた、官僚や国民が守るべき道徳的な心構えを示したものです。天皇中心の国家を目指す聖徳太子の考えが反映されています。
大化の改新
聖徳太子の死後、蘇我氏が再び勢力を強め、政治を思うままに操るようになります。これに反発した中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのひきまろ、後の藤原鎌足)は、645年に蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺しました。これを乙巳の変(いっしのへん)といい、この事件をきっかけに大化の改新という一連の政治改革が始まりました。
- 公地公民(こうちこうみん)すべての土地と民を国家のものとする制度です。それまで豪族が私的に所有していた土地や人々を朝廷が直接支配することで、天皇中心の国家体制が確立されました。
- 国郡里制(こくぐんりせい)地方行政組織を「国」「郡」「里」に分け、中央から役人を派遣して統治しました。これにより、全国的な支配体制が強化されました。
飛鳥文化
飛鳥時代は、大陸から伝わった仏教を中心とする文化が花開きました。これを飛鳥文化と呼びます。
- 仏教建築聖徳太子が建立した法隆寺は、世界最古の木造建築物として知られています。そのほか、飛鳥寺や四天王寺などもこの時代に建てられました。
- 仏像彫刻東大寺法隆寺の釈迦三尊像は、北魏様式の影響を受けた仏像の代表例です。これらの仏像は、当時の人々が抱いた仏教への信仰心を今に伝えています。