平安時代
平安時代は、794年に桓武天皇が平安京(現在の京都)に都を遷してから、源頼朝が鎌倉幕府を開くまでの約400年間を指します。この時代は、日本独自の文化が大きく発展し、貴族社会が繁栄しました。
平安京と貴族政治
平安京は、中国の長安にならって造られた大規模な都でした。桓武天皇は、仏教勢力の政治介入を防ぐため、仏教寺院が少ないこの地に都を定めます。
- 藤原氏の摂関政治平安時代の中期には、藤原氏が天皇の外戚(天皇の母方の親族)として、摂政(せっしょう)や関白(かんぱく)の地位を独占し、政治の実権を握りました。これを摂関政治といいます。特に、藤原道長(ふじわらのみちなが)の時代は、藤原氏の権勢が最も栄えた時期です。
- 院政藤原氏の権勢が衰え始めると、白河上皇が天皇の位を譲った後も政治を行う**院政(いんせい)**を始めました。これにより、天皇と上皇が並び立つ二重の権力構造が生まれました。
武士の台頭
荘園(しょうえん)の増加とともに、各地で土地争いが頻発するようになります。こうした争いを解決するため、武力を持つ武士が台頭し始めました。やがて、平氏と源氏という二つの大きな武士団が力をつけ、政治の中心に関わるようになります。
- 平治の乱と源平合戦保元(ほうげん)の乱に続き、1159年の平治の乱で勝利した平清盛(たいらのきよもり)は、武士として初めて太政大臣(だじょうだいじん)となり、政権を握りました。しかし、平氏の独裁的な政治は人々の反発を招き、源氏との間で源平合戦が勃発しました。1185年の壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡し、源氏の勝利で戦いは終わりました。
国風文化
平安時代は、遣唐使(けんとうし)の廃止(894年)を機に、中国の文化をそのまま模倣するのではなく、日本の風土や感性に合わせた独自の文化が発展しました。これを国風文化といいます。
- 仮名文字の発明漢字を基にひらがなとカタカナが発明され、女性を中心に文学が花開きました。
- 文学紫式部(むらさきしきぶ)の**『源氏物語』や清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子』**といった優れた文学作品が生まれました。これらは、当時の貴族社会の様子や、人々の繊細な感情を生き生きと描いています。
- 建築と美術仏教建築では、藤原氏が建てた**平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)**に代表されるように、優雅で華やかな様式が好まれました。また、大和絵(やまとえ)と呼ばれる日本独自の絵画も発展しました。
平安時代の終焉
源平合戦に勝利した源頼朝(みなもとのよりとも)は、1192年に朝廷から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任じられ、鎌倉に幕府を開きました。これにより、政治の中心は貴族から武士へと移り、約400年にわたる平安時代は終わりを告げました。