室町時代
室町時代は、足利尊氏が室町幕府を開いた1336年(南北朝合一の1392年とする説もあります)から、室町幕府が滅亡した1573年までの時代です。武士による支配体制が確立され、後の戦国時代へと繋がる重要な転換期となりました。
室町幕府の成立と政治
足利尊氏が京都の室町に幕府を開き、武家政権を再び確立しました。鎌倉幕府が滅んだ後、武士たちの間に生まれた混乱を収拾し、政治の中心を京都に戻しました。
- 足利義満と南北朝の合一室町幕府の最盛期を築いたのが、3代将軍の**足利義満(あしかがよしみつ)です。彼は、約60年にわたって対立していた南朝と北朝を合一させ、日本の政治的な混乱を収束させました。また、中国の明との間で勘合貿易(かんごうぼうえき)**を行い、経済的な安定も図りました。
- 守護大名の台頭幕府は、全国に守護を置き、領地を支配させました。この守護が次第に権力を強め、一国を支配する守護大名へと成長しました。彼らは、自らの領地で家臣を従え、次第に将軍の権威を脅かす存在となっていきました。
室町文化
室町時代には、貴族の文化と武士の文化が融合し、新しい文化が生まれました。これは、足利将軍家や守護大名が文化の担い手となったことによるものです。
- 北山文化3代将軍足利義満が、京都の北山に建てた別荘**金閣寺(鹿苑寺)**に象徴される文化です。公家文化と武家文化が融合し、優雅で華やかな特徴を持っています。
- 東山文化8代将軍足利義政(あしかがよしまさ)が、東山に建てた**銀閣寺(慈照寺)**に代表される文化です。簡素でわび・さびの精神が取り入れられ、水墨画や庭園、茶の湯、生け花などが発展しました。
室町時代の終焉
応仁の乱以降、室町幕府の権威は完全に失墜しました。将軍の力は弱まり、各地の守護大名は自らの勢力拡大に邁進するようになりました。家臣が主君を倒す「下克上(げこくじょう)」の風潮が広まり、戦国時代へと突入しました。1573年、織田信長によって最後の将軍足利義昭が追放され、室町幕府は滅亡しました。