奈良時代

奈良時代

奈良時代

奈良時代は、710年に平城京(現在の奈良市)に都が置かれてから、794年に平安京(現在の京都市)に都が遷されるまでの時代です。律令制度に基づいた中央集権国家が形成され、国際色豊かな仏教文化が花開きました。

平城京と律令政治

710年に元明天皇が都を藤原京から平城京へと遷しました。平城京は中国の長安にならって造られた、碁盤の目のように整然とした計画都市です。

  • 律令制度の完成飛鳥時代から進められてきた律令(刑罰を定めた「律」と、政治や社会の仕組みを定めた「令」)に基づく政治体制が、この時代に完成しました。これにより、全国の土地と人民は国家が直接支配することになり、天皇中心の中央集権国家が確立されました。
  • 口分田と税律令制のもと、すべての人民に口分田(くぶんでん)が与えられ、耕作が義務付けられました。その代わりに、人々は租(そ)(稲)、庸(よう)(労働や布)、調(ちょう)(特産物)などの税を納めることが義務付けられました。
  • 仏教の国教化朝廷は仏教を国家の安定を図るためのものと位置付けました。特に、聖武天皇は仏教への信仰が厚く、国ごとに**国分寺(こくぶんじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)**を建立するよう命じ、全国的な仏教ネットワークを築きました。

天平文化

奈良時代に花開いた文化は、国際色豊かな天平文化と呼ばれています。唐(中国)や朝鮮半島、さらには西域の文化も取り入れられ、壮麗で華やかな特徴を持っています。

  • 東大寺と大仏聖武天皇の発願によって建立された東大寺は、天平文化を象徴する存在です。特に、その中に安置された巨大な**大仏(盧舎那仏)**は、当時の人々の信仰の深さと高い技術力を今に伝えています。大仏を造るために、全国から多くの人々や資材が集められました。
  • 正倉院東大寺の宝物庫である正倉院には、聖武天皇が愛用した品々や、大仏開眼供養会で使われた道具などが保管されています。これらの中には、シルクロードを経てもたらされた貴重な品々も含まれており、当時の国際的な交流の広さを物語っています。
  • 文学奈良時代には、漢字を用いて日本語を表記する万葉仮名が使われ、多くの歌や物語が生まれました。日本最古の歌集である**『万葉集』**は、天皇から庶民まで、様々な人々の歌が収められており、当時の人々の感情や生活を知る貴重な資料です。

奈良時代の終焉

政治の腐敗や農民の負担増大など、律令制度のひずみが次第に顕在化していきました。また、仏教勢力が政治に介入するようになり、天皇の権威が脅かされる事態となります。これらの問題を解決するため、桓武天皇は仏教勢力のいない新天地を求めて、都を長岡京(後に平安京)へと遷すことを決意しました。これが奈良時代の終わりを告げることになります。

タイトルとURLをコピーしました